0728 ヨハネス・イッテン、ヴァン・デ・ヴェルデ

ワイマールに来た大きな理由を改めて考えてみると昔フォトモンタージュやデザインの歴史を調べていた時、ドイツのこの街がとても重要である印象を持ったからだ。第一次大戦から第二次大戦の間いわゆる黄金の30年代、ドイツにおいてベルリンと並んで最も重要な都市の一つだったのだ。かの有名なワイマール憲法もここで発布されたものだ。またここはゲーテが長く住み仕事をした場所としても知られている。実際来てみると驚く程こじんまりした街なのである。人口は5万人である。ドレスデンやライプツィヒの十分の一である。しかしバスに少し乗っているだけで街にはゲーテ広場、シラー通り、ショーペンハウアー通り、グロピウス通り、フンボルト通りetcと僕らが良く知っている名前がつけられた通りがいくつも存在し、ここがドイツ人の文化的故郷でもあることが否応なく感じられる。またドイツルネサンス最大の画家クラナッハはここを拠点に活動したし(画家であると同時に薬局も経営し市議会議員でもあった)またいうまでもなくバウハウスが最初に誕生した場所でもある。



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国民劇場広場。ゲーテの「ファウスト」が初演されリスト、シューマン、ワーグナーらが活躍した劇場であり、ここで1919年にワイマール憲法は採択されている。劇場の中までは入らなかったが印象はとても質素というかこじんまりしたものである。


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劇場前のゲーテとシラーの像。シラーは歌劇「ウイリアム・テル」の作者だそうだが私は全く読んだ事がない。ゲーテが彼をこの街に招き死ぬまでの5年間この街ですごしたらしい。

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国民劇場の向かいにあるワイマール・バウハウス博物館。

バウハウスは1919年にワイマールで発足した。その後1924-5年に市と対立し(社会民主党が与党から野党に転落したのをきっかけに)デッサウに移転している。いわばここでは初期のバウハウスを見る事ができる。その後ここは別の保守的な工芸学校となり、東西ドイツ統合後はバウハウス大学となっている。この間の様々な政治的、造形的理念の対立などの変遷はここでは詳述できないが、とにかく複雑な印象を持った。少なくとも今更バウハウス大学とネーミングする感覚が理解できない。僕の勉強不足かもしれずこの間の事情は分からないが、経歴詐称じゃないがうさんくさい感じがする。

しかしなによりもここで想像を超えて良かったのはヨハネス・イッテンであった。表現主義的で機能主義バウハウスに反するとしてグラフィックのファイニンガーとともに追放(?)された人としてまた色彩学の権威として知られる人だが、今回見る事のできた彼のドゥローイングが凄かった。(撮影は不許可だし図録にも掲載されてないので画像はありません)これは後で日本でじっくり検討するつもりである。ドゥローイングとタイポグラフィの合体したデッサンは本当にただものではないと感じた。多分バウハウスで続かなかったのは、造形上の主義の違いというより人間関係なんだろうなあとも思いました。イッテンはとにかく「あく」が強いというか、天才型で協調性には欠けていたのだろう。絵からはそのような印象を受ける。しかし滅茶苦茶鋭い。


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イッテンによる色彩のオブジェ


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イッテンのドゥローイング


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バイヤーのユニバーサル


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工芸はビーダーマイヤー、分離派の伝統をしっかり受け継いでいる事がわかる。


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クレー

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クラナッハが活動した市教会。


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クラナッハによる祭壇画。クラナッハの最高傑作だと思う。


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ヴァン・デ・ヴェルデの館を訪ねるも残念ながら修復中であった。


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ヴァン・デ・ヴェルデの館の向かいにバウハウス当時の校舎(現在はバウハウス大学)がある。ヴァン・デ・ヴェルデの設計である。


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正面


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裏側

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一階エントランス

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左右にヴァン・デ・ヴェルデとグロピウスの肖像。

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学生の作品。多分建築科の基礎授業だと思うが、律儀に初期バウハウス(あるいはロシアアヴァンギャルドのシュプレマティズム)に似てる所がかわいいというべきか、古くさいというべきか。どうも微妙。


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アトリエ

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ヴァン・デ・ヴェルデ記念室のようなところ

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教室階段

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正面吹き抜けの階段。

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バウハウス校の道をはさんでリストの家。

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街に貼られていたヴァン・デ・ヴェルデのポスター

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シラーの家。

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宿からワイマールの街を望む。

0727 日曜日朝のミサ、ニコライ教会、バッハ

今日はライプツィヒからワイマールへ移動する日である。日曜日の朝、街はとても静かである。一旦駅でワイマール行き切符の手配をしたあとライプツィヒの街を散策する。


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ライプツィヒ駅舎。ヨーロッパで最大級だそうな。

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昨日外観だけ見たニコライ教会に入ってみる。東西ドイツの壁が崩れたのはここでの集会がきっかけであったと言われているのでとても気になっていたのだ。日曜朝の礼拝の最中であったが入れてもらえる事ができた。もともとは11世紀に建てられた教会らしいがご覧のように内部の装飾は大変変わっている。かなり大きく音響も良く荘厳な雰囲気がある。

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ここは造形博物館。とても巨大である。作品はクラナッハなどの古典とベックリンなど近現代のものもある。まずは建築がひどいと感じた。まず様々な細部のスケール、など人にやさしくない。建築家は新しいと思い自己満足しているのかもしれないが現代建築のひどい見本のような建物だ。こんなにいやな印象をもつのもめずらしい。なので当然のようにこんな所には悲しいかな美のミューズは降りてこないのだ。
キュレーターが建築家に輪をかけたように最悪で、例えば15世紀の作品が並んでいる中に突然現代の作品を挿入したりする。「同じ静物画という主題で現代と比べたらどうでしょう」という意図かどうかは知らないが常設展でこんなバカなことをやるなんて信じられない。美術館の巨大な空間がひたすら空しい。また監視員がひどい。ちゃんと写真許可のお金をはらい、カードをぶらさげているにもかかわらず、いちいち近くに寄って来てにらむのだ。何か文句あるの?と笑いかけると(この旅で微笑みながらけんかを売る事を覚えた)どっかに行ってしまうのだがまた別のがやって来る。ドイツの女性のある典型について言いたい事があるが問題を起こしそうなのでここには記しませんが。とにかくここはお勧めしない。やなものを見ると身体によくない。一個一個の作品に罪はないのだけれど。

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こんな空間、どこか(ムサビ?)で見た事があるような。今の流行なんでしょうか。
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ベックリンの有名なこの絵はここにあったのですね。

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めずらしく、わりと好きなセガンティーニが二点あった。

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次ぎに行ったのは前日行ったバッハの本拠地であったトーマス教会向かいのバッハ博物館。本館は現在改築中で入れず、横にある臨時の会場で譜面などが見れた。ここの受付の女性はとても感じが良い人だった。バッハの直筆が写真に撮りたかったので写真を撮っても良いですか?と聞くと笑いながら見猿の真似をして私は外にいるからといって、トーマス教会の前でバッハを演奏している旅芸人のところに行ってしまったのだ。帰りがけにもちろんダンケシェーンと言いました。言葉はうまく話せなくても温かな気持ちは通じる。横で見ていた妻が「本当はだめだったのね。でもやることが憎いわね」と言っていた。たまーにこういう感じの女性もいるのだ。ドイツ女性は大きく二つのタイプに分かれるようだ。(すいません。勝手な感想です)

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街の至る所にバッハ関連のポスターが。

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メードラーパッサージュというショッピングアーケード。16世紀からの酒場で学生時代のゲーテや森鴎外も通ったらしい。地下まで降りて入るかどうか迷ったが電車の時刻が迫って来たので断念。

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ここの地下。左がファウストとメフィストテレスの像。

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その後電車で1時間半、ワイマールに到着。マルクト広場、クラナッハの家の前にて。

0726 デッサウのバウハウスへ

このブログを見ている人からは今回の私の旅は、ウイーンではオットー・ワグナー、ヨーゼフ・ホフマン、プラハではチェコ・キュビズムにアール・ヌーボー、そしてビーダーマイヤー、ライプチヒでは印刷博物館とまるで計画したように近代デザイン史をたどる旅をしているように見えるかもしれない。それに今日行くバウハウスを加えればあまりにも出来過ぎとも言えるだろう。しかし実際の私の気持ちというか意図は意外かもしれないがそうではない。ビーダーマイヤーもキュビズムも印刷博物館もたまたま来てみたらそこにあって、ただ私が反応しているというに過ぎない。

そういえば話はちょっとそれるが以前ウイーンで書き忘れていた事がある。それはウイーンにオットー・ノイラートの博物館がないことの理不尽さについてである。この事実だけみてもウイーンの人間がノイラートの凄さと重要性を未だに理解していないことを示している。自国が生んだ20世紀デザインにおける最も重要な人間を忘却するなんて。ノイラート以前だけでも充分観光資源としては成り立つからだろうか。そもそも、最も敏感であるべき美術館のディレクターがそのことを理解していないから、だからデザインミュージアムもだめなのだなと改めて思った次第。

話を戻すと今回旅をしながら今更バウハウス詣でもないのではないかという気持ちがどうも心の中に居心地悪くあったのだ。

かつて25年前(私は26才だったが)はこのデッサウに来たくても簡単には来れなかった。だから当時はバウハウスといえば西ベルリンにあったバウハウスアッシブに行くしかなく、それはそれで感動したことを覚えている。25年前にはライプツィヒにしてもドレスデンにしても(旧東側)自由に旅が出来るなんて思いもよらなかったのだ。その時はベルリンの壁もアメリカとソビエトの対立もずっと続くだろうと思えたのだ。この間の25年は大きい。同様に私の中でバウハウスに対する考え方も大きく変わったのだと思う。少なくとも単純な礼賛ではなくなっている。

ともあれ今回、迷った末一人でデッサウのバウハウスに行って来た。電車で約1時間。校舎も、教員の宿舎も1997年ころの大修復によって完全に元の状態に復元されていた。(これはさすがにドイツ人、相当大変であったことが想像されるが立派な修復である。モダニズムの修復だから簡単だと思うのは素人なのだ)

この間考えたことを書くと長くなるし、この旅の途上では何か語る心境にはならない。

現在の簡単な印象だけいえばとにかく行って良かったなと思いました。

修復されたことでディテールが見れたこと、ディテールのなかに言葉ではなくて深く感じるものがあったことなど。

また、ここはグロピウスたちが作ったひとつのユートピアであったが、短期間のうちにハンネスマイヤーに学長は代わり、ナチスの圧力で閉鎖されている。

1924年の夏ここにリシツキーが来、マイヤーの招聘でノイラートもここで講義をしたのだと思いながら一日を過ごした。とても暑い日だったが真空のような一日だった。


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デッサウ駅前


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あのバルコニー


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大修復の模様を展示していた。


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マルセル・ブロイヤーの椅子が素晴らしい。


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正面が小舞台で奥が食堂


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アトリエの一部


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外灯


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展覧会場(写真は撮れず)


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半地下のカフェ


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グロピウス通りを通ってマイスターハウスへ。


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以下マイスターハウス


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トーマス教会にあるバッハの墓

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ニコラス教会


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バウハウスから戻り夕刻、ライプチヒの街を散策。

最後に本屋でここゆかりのレクラム文庫を一冊記念に購入。チャンドラーの「大いなる眠り」と迷った末ポール・オースターの「ムーン・パレス」に。英語版でドイツ語の注釈付きである。7.2ユーロ。


0725 ドレスデンからライプツィヒへ

午前中ドレスデンを出てライプツィヒまで移動。特急で1時間10分。ドレスデンの人口は約50万人、ライプツィヒも同様でドイツでは大都市である。(しかしドレスデンとライプツィヒからは全く異なる印象を受ける。多分理由はあるのだろうが私には分からない)

今回ライプツィヒに来た理由はかなり曖昧である。まずここが歴史的に印刷が盛んな都市であり、岩波文庫がお手本にしたレクラムという有名な出版社がある事、バウハウスのデッサウに近いことなどいくつかあった。しかし初めてなのでとにかく来てみなければわからない。

ドレスデンのように来てはみたものの何となくしっくりしない街もある。さてライプツィヒはどうなるだろうか。

宿は駅の側でまず荷物を置いてインフォメーションセンターに行く。ここでは造形博物館という大きい美術館があるがそこには行かずに、ガイドブックにはなかったけれどもインフォメーションの人に印刷博物館はないのかとまず聞いてみた。

そしたらちゃんとありました。トラムに乗って20分くらいのところ。詳しい説明なしで写真を見て下さい。だいたいどんな所かわかると思います。ここは保存されている印刷機等すべてのマシーンが稼働するように整備されていた。そして技術者が何人かいてなんでも親切に答えてくれる。目の前で実演してくれる。僕らがいる間も美術大学の学生らしい人が何人も来て技術者に相談していた。まあ、僕にとってはディズニーランド(?)のようなところでした。


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ドレスデン駅


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電車はガラガラで一両独占状態。


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以下、印刷博物館


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このリト版はどのように製版したのだろうか。


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木活字


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大判リトグラフ印刷機


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インク撹拌器


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昔の活字鋳造機


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楽しそうに実演をするおばさん


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モノタイプ自動活字鋳造機の説明。

僕があまりにもおもしろがるし、「ライノタイプがどうのこうの」と独り言を言っていたらあんたはプロフェッショナルかと聞くのでいや違うと答えるとこのおばさんがわざわざ別のおじさんを連れて来てライノタイプの実演をしてくれた。


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ライノタイプ自動活字鋳造機の実演


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博物館中庭にて


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0724 ドレスデン

ドレスデンはかつてのザクセン王国の首都で壮麗な街だったところだが、第二次大戦の空襲で一夜で破壊された町として知られている。廃墟のままであった聖母教会を残されたがれきの破片を地道に組み合わせて最近(2005年)修復したのは日本のテレビでも放映されていたのでご存知の方も多いと思う。

戦災にあった街に共通であるが基本的に街は全体にのっぺりしていて、戦後の共産主義下のビルがほとんどで、街の中心のツヴィンガー宮殿などが修復されているのだが全体としては何となくちぐはぐな感じを受ける。あくまでも一旅行者の感想ですが。

観光の街のはずだが、他のドイツ、ヨーロッパの街のような雰囲気、旅行者が気軽に入れそうなキオスクやマーケット、カフェが驚く程ない。水を買おうとして歩いても歩いてもお店が見つからず少しあわてたりとか、なんとなく不気味な感じがある。25年前訪れたことのある東ベルリンの雰囲気に似ている。宿は中心からトラムで15分くらいのところで、エルベ川ぞいであるがやはり周りにはタバコ屋すら見当たらない。

ここの滞在の主たる目的はフェルメールが二点あるツゥインガー宮殿内にあるアルテ・マイスター絵画館に行く事であった。その他クラナッハ、ホルバイン、デューラー、レンブラント、ボッシュ、ボッティッチェルリ、ラファエロ、リューベンスなど傑作がかなりある。また風景画の巨匠カナレットの作品がここには多くその特別展をやっていてカメラオブスキュラと風景画の関係を中心に展示をしていたのが少し興味深かった。

同じ宮殿内の陶磁器コレクション、武器博物館などを見ても、ザクセン王国のかつての繁栄を偲ばせる。その他ドレスデン城では王様の財宝、工芸の展示をみたが(写真は撮れずイメージはないが)その贅沢ぶりはものすごいものがある。いわゆる博物館の元である王様のウンダーカマー(脅威の部屋)を実感するにはもってこいである。趣味的には全くあわないので心は全く動かなかったが。


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黒く見える石は戦災で焼けたことを示している。


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ツゥインガー宮殿

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クラナッハ


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ホルバイン

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デューラー


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レンブラント


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これはカラヴァッジョではありません。

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ボッシュ

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ボッティッチェルリ

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苦手なラファエロの有名な?部分

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苦手なリューベンスはどこにいってもある。

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カナレット


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陶磁器コレクション、武器博物館

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0723 プラハからドレスデンへ

今日はプラハを去りドレスデンに向かう予定である。正直プラハは予想していたよりも、はるかに気に入ってしまったので本当はもう2〜3日滞在を延ばしたいのだが。結局、図書館にも行けなかった(ここはアポイントメントなしには見せてもらえないだろうが)。またチェコではブルーノにも行けなかった。ここはミースのトゥーゲンハート邸があるし、グラフィックのビエンナーレでも有名な街だ…。

しかしここチェコには縁があればまた日を改めて来る事もあるだろう。そんな予感がする。

ということで午前中、初日に行った時閉まっていたチェコキュビズム博物館(別名黒い聖母の家)に行く。チェコキュビズムについては思う所あるが…。とにかくこの美術館は小さいけれどとても良い。しかもここで初めて知ったある建築ザイナーの図録を購入したが、その時レジのお兄さんがプラハの現代デザインの見所をあれやこれや教えてくれた。もうドレスデン行きの電車のチケットを買ってしまったというのに。全く後ろ髪をひかれるとはこの事か?

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オットー・ノイラート、ゲルト・アルンツを調べていても思ったが雑誌、デア・シュトルムとディ・アクツィオーンはドイツというよりは中央ヨーロッパにとって重要な雑誌であることが分かる。

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キュビズム・タイプフェイス?らしい。

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1〜2階はカフェ。1階はブックショップなど、キュビズムの家具や食器も売っていた。

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この写真もまるでキュビズムのような…、でしょ。

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ドレスデン駅

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ドレスデンは第二次大戦において最も空襲の激しかった街のひとつで東京と同じように一旦は廃墟になっている街である。

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宿の窓から見える夕暮れ。

0722 国立博物館、自然のwritingを楽しむ

こうなってくると毎日は苦行僧のようである。どんなに疲れていてもホテル住まいなので朝はしっかり起こされる。ホテルの朝食をしっかり食べ頭と身体をとにかく叩き起こす。そしてまた街に出て行くのである。

今日も本当にハードな一日であった。(途中眼鏡紛失事件もあったが無事解決。)

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今日は国立博物館がメインでまずここでじっくり過ごす。ここでは人工物ではなく自然の記述を楽しむ。(人類の足跡展という特別展もやっていた)

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人類の足跡展。企画はおもしろい、がディレクションが…。

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骨のサイコロ?

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自然の記述
僕がこのようなものに強い興味を持つようになったのはもう10年以上前に遡るが、勝井先生の視覚伝達デザイン論を6年間通しで聴講したことによると思う。この授業では何度も目から鱗が落とされたが何よりも、デザインを行う前の世界に対する態度とその構造を理解するための先生の好奇心の強烈さに影響を受けたと思う。どうデザインするかの前に対象は何かを自然科学的に知る事の大切さといってもよい(「土の記憶」などはその中の一つだ)。その後僕がその授業を引き継いだ(先生に比べれば情けないくらいへなちょこだが)のだが、今回の旅はそのまんま授業で思考したことの現物確認の旅ともなっている。
その先生からさっき「旺盛な知的好奇心と行動力に感心しています」というコメントをいただいた。恐れ多い事だ。

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その後、カレル庭園を通り、国立美術館に向かったのだが途中でプラハ城riding-schoolというところでビーダーマイヤーbiedermeier art and culture in the bohemian lands 1814-1848という興味深い展覧会に出くわす。躊躇せずに入る。大変素晴らしい展覧会であった。写真不可なのでイメージはないが。19世紀前半のこの中央ヨーロッパの豊かさがよく分かる。ウイーンのゼツェッション(オットー・ワグナーやヴァン・デ・ヴェルデ)など、そしてもちろんドイツ工作連盟もビーダーマイヤーの歴史的バックボーンの上に成立していることがよくわかる展覧会であった。装飾的だが過多ではなく、構造的で今日的とすら言える。日本で言えば元禄時代か。日本のデザイン史は通史がまともにないが、同様であろうと思う。つまり日本のグラフィックデザインが今日豊かさを持っているのは江戸の歴史の厚みがあるからだ。

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カレル公園

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ビーダーマイヤー展

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本当はこれだけで疲労困憊だったがどうしてもデューラーの大作を見ずには済むまいと思い無理を押して国立美術館へ。ここも写真不可なのでイメージはない。
その後昨日書いたクレメンティヌムのカテドラルで7時からコンサートを聴く。7人編成のチェンバロオーケストラであった。モーツァルト、アルビノーニ、バッハ、ヴィヴァルディ、スメタナ、チャイコフスキー、ドボルザークの曲が演奏された。7時から約2時間程か。プラハに来たんだからドボルザークが聴きたいと妻に言っていたのだが、はからずも実現し感動。疲れていたので眠るかと思っていたが全然平気だった。アルビノーニのアダージョでは思わず泣きそうになった。ウイーンのヨハンシュトラウスといい音楽もヴィジュアル作品同様それが生み出された場所で聴くというのは良いものだとしみじみ思いました。

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一日の終わりに虹が。



0721 プラハを彷徨う。

今日は月曜日で美術館等はお休みなので主に街を歩く。プラハは初めてである。ここは美しい街であると同時に街が建築や工芸を学ぶ者にとってそのまま博物館、教科書のようなところだ。モダニズムとはまた別のデザインの伝統がしっかりあることがひしひしと感じられる。1日や2日では到底この街を見たとは言えないということがすぐに分かった。要するに予想を超えて街は素晴らしく、楽しかったし、興味深いのだが詳述は省く。長い一日。


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今回とてもお世話になったトラム。一日券を買っておけば好きに乗り降りできる。

たまたま偶然この写真に映った女性は12頭身くらいだろうか。日本ではほとんど見る事のできないバランスである。これも私たちから見れば異形ですね。何事も過ぎたるは及ばざるがごとしか?


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ユダヤ教のお寺(シナゴーク)


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正面は国立博物館


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キュビズムの外灯


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ペトシーン公園(街を見下ろせる丘にある)天文台横のモニュメント。


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ペトシーン公園展望塔より市街を見下ろす。


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ペトシーン公園展望塔。パリのエッフェル塔に模したらしい。


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チェコといえばパペットでありまたアニメーションでもある。人形のお店がたくさんある。街には人形劇の劇場もあった。


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プラハ城から旧市街を見る


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大司教宮殿。左隣奥に地味な国立美術館がある。


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シュヴァルツェンベルク宮殿(ルネッサンス様式らしいが、壁の凹凸の錯視的な装飾がおかしい)


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聖ヴィート大聖堂(プラハ城内)


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フランツ・カフカ博物館


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カフカのサイン


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カフカのドゥローイング


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カフカへのオマージュとしてのインスタレーションや映像など、展示はかなり好き勝手にやっていた。その意気や良し。しかし出来はイマイチ。ディレクションが青臭い。カフカ=暗いとか、=不条理とか不協和音とかゆがむ映像とか、それをやったら当たり前すぎてつまらないじゃないか。

…どうしてもこのようなものを見るとつい、俺だったらこうするよな的なデザイナー根性が出てしまいます。イカンとは思いますが。


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プラハ城側のカレル橋橋塔


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カレル橋の彫像


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旧市街側の橋塔


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クレメンティヌム。元対フス派(新教徒)の為のイエズス会の教会。現在はチェコ国立図書館の一部で550万冊!?の蔵書があるらしい。中には入れず。しかし翌日ここの礼拝堂でのコンサートに行く事にした。


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一応観光名所の天文時計


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旧市庁舎


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ヤン・フス像


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チェコキュビズム博物館。旧市街にある。別名黒い聖母の家。ここは本日は閉館なのでまた来る事に。


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黒い聖母


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1-2階はカフェ。カフェの椅子もキュビズムである。


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市民会館。ここはミュシャ(最近ではムハと言うそうな)を筆頭にチェコ・アールヌーボーの本拠地だ。


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市の南部ヴィシェフラド地区にあるキュビズムのアパートメント。現役です。


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同じくキュビズムの家。ヴルタヴァ川沿いにある。夕方8時頃、人は住んでいない感じだったので堂々と庭に入って近くで見ていたら「窓に人影が…」と妻が言うのでびっくりして出てきました。


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同じくヴルタヴァ川沿いのキュビズムの家。ユースで使用しているようだった。


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0720 ウイーンからプラハへ

前日のコンサートについて。ヨハン・シュトラウスとかワルツとか食わず嫌いで勝手に甘ったるいイメージを持っていたのだが(ニューイヤーコンサートなんてブルジョワ趣味的だし)、今回初めて生で聴いてみて「いやあなかなかのものですなあ」と思いました。クラシックにおいてもジャズ演奏と同様、スゥイング感と間、音の遠近感が重要なのだと実感できる演奏であった。

ウイーン南駅から13時半に電車に乗ってチェコのプラハに向かう。約4時間(+20分の遅れ)。夕刻プラハ到着。ここはユーロに入ったので通貨もユーロになってると思い込んでいたらそうではなかったので少しあわてる。宿が少し分かりにくい場所にあった為、たどりつくまで時間がかかる。夕食は宿のそばの中華料理屋に行く。ここはわりとまともな中華だったので安心する。(かつてリュブリャナで店に火をつけたくなる程のひどいのを食べさせられた記憶があるので中華といっても安心はできないのだ)

夕方、かなり強く雨が降る。街を濡らす雨に何故か感動。ギリシアの乾燥がまだ頭と身体にこびりついているようだ。

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ウイーン南駅


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プラハの夕暮れ。9時頃。奥正面の白いビルが私たちの泊まった宿。交差点にある。


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宿から見た交差点。日本ではほとんどの都市で廃止にしてしまったが、路面電車のある街は素敵である。過去にタイムスリップしたような気になる。

0719 デザインのミュージアムのデザイン

ウイーンに来る直前に2~3年前ここを精力的に歩いていた大田君にメールで情報をもらっていた。(あきおくん、ありがとう)しかし今回はちゃんと歩き回れるのは今日一日だったので、結局25年前に歩いたところをもう一度訪ねるに止まってしまった。次(秋)のエジプトはここからの出発なのでその時もう一度時間をとりたいと思う。25年前は同行していた斉藤君がトラベラーズチェックを摺られたり、宿がひどかったりとあまり良い思い出がなかったが今回来てみてウイーンがこんなに素晴らしい街だったかと改めて感動している。道の幅や公園など都市の基本的な部分がとても豊かである。何のかんの言ってもさすがハプスブルグ家の都なのである。都市は土台が大切と思いました。こればっかりは簡単には作れない。

今日歩いた場所は市庁舎、美術史博物館、オットー・ワグナーの郵便貯金局と水門。応用美術博物館、クアサロンであった。最後のクアサロンは19世紀にできた立派なサロンでヨハン・シュトラウスがここの為に曲を書き下ろしたりした場所である。ここでモーツァルト、ヨハン・シュトラウスをアンサンブル・オーケストラで聴いた。モーツァルトはドン・ジョバンニ、アイネクライネナハトムジーク、シュトラウスは青きドナウなど。演奏も音も大変良かった。

応用美術館は写真が撮れないのでイメージがここにはない。ウイーン工房、ヨーゼフ・ホフマン、オットー・ワグナー、ヴァン・デ・ヴェルデなどの家具など、さすがに見るべき物はたくさんあったし、リベスキンドのベルリンユダヤミュージアムの模型など、意外な物も見れてよかったのだが、デザイン・ミュージアムとしては古いというか中途半端な感じがした。日本のもそうであるがデザインミュージアムで素晴らしいと思える物に僕はまだ出会った事がないような気がする。要するに安易にバウハウスやモリスに頼らず、尚かつそれらの歴史を踏まえた上で20世紀をちゃんと総括し、かつ未来に向かったあるべきミュージアムのコンセプトをたて、実現するということを誰もまだできてないということなのだろう。もちろんそれが簡単でないことは承知の上だが。だからとにかく物だけ集めていますという感じにどうしてもなる。見せる側に何故今これを見せたいのかという本気の切実な自省がない感じがするのだ。

20世紀前半のデザインや芸術において既に世界は物じゃなく、関係だというコンセプトが自明であったにもかかわらず、現在のデザインが古色蒼然、後ろ向きに見えるのは何故だろう。

本当の意味での新しいデザインミュージアムは俺が作るしかないのか?とふと思いました。

自然史博物館(ここは昔行ったが)、ミュージアムクオーター、ゼツェッション、シュタインホーフ教会、ウイーン工作連盟ジードルンク、カール・マルクス・ホーフ、その他のオットー・ワグナー、今回あまり気が進まなかったクリムトやシーレも次のお楽しみとなった。

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国会議事堂


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街頭のポスター


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フォルクス公園。誰もが入れる普通の公園なのだが手入れの気合いが違う。


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昨晩シネマフェスティバルを行っていたノイラート、ダイヤグラムチームゆかりの市庁舎に改めて行くも土曜日で入れず。正面玄関の回廊。


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美術史博物館


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自然史博物館。美術史博物館の向かいにある。今回は時間切れで入れず。間にマリア・テレジア像がある。


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マリア・テレジア像


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以下美術史美術館。ここは写真が可だったのでメモ代わりに。ここの美術館は世界的に見ても突出して優れた作品が多い所である。レンブラント、フェルメール、デューラー、ホルバイン、クラナッハ、ファン・エイク、ブリューゲル、カラヴァッジョ、ベラスケス等など。また幼い頃ノイラートが影響を受けたエジプト部門もわりと充実している。


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以下オットー・ワグナーの郵便貯金局。ここも以前来た時は郵便局として機能していたが現在は歴史建造物になっていた。感慨深いものがあった。大学院の修了制作を別々の作品だがコラボレーションとして建築家の菅谷君と共同でやったことを思い出す。


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以下オットー・ワグナーの水門


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クアサロン入り口


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コンサートの幕間に