1127 ダハブで足止め

前日書いた理由で、やむを得ずダハブで一日を過ごす。

前日はほとんど寝ておらず、結果的には私たちにとって久々の休養日となった。

ホテルの部屋で朝から昼過ぎまでかかってたまりにたまっていた日記を書き、更新が遅れているブログの為に3日分の写真の整理をする。

これらの作業は結構集中力を要するのだ。

昼間はせっかくなのでビーチで少し泳いで久々の読書。

カイロの宿から持って来た藤沢周平。

しみじみ…。

夕方町まで行ってインターネットカフェでブログを一日分だけ更新。

しかしせっかく書いたテキスト(日記)がいざ更新しようと思ったら全く失われてしまっていたのだった。このソフトは自動保存が勝手に出て来て両方とも保存をかけたにもかかわらずきれいに失われていた。かなりのショック。


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もし私たちが自分で探していたら絶対に選択しないであろう(サイードが決めた)ホテル。

結局彼は最後まで私たちの希望を理解してくれなかった。

ここ2-30年の間に世界中のリゾート地に造られたアメリカ資本の自称高級ホテル。

インドネシアのバリにも似たようなのがあったがでかくて青いプールをつくれば客が喜ぶとかたくなに信じているようである。

世界中どこにもある点ではマクドナルドとそっくりだ。


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1126 シナイ半島へ

昨晩は結局なかなか寝付けず1~2時間の睡眠の後1時起床。

真夜中の2時に宿を出発する。

同行するのは私たちの宿のオーナーであり、旅行エージェンシーをやっているサイードとドライバーである。前半の旅のトラブルを反省したのかしらないが、オーナー自身が私たちが無事ヨルダン行きのフェリーに乗れるまで付き添うと言って来たのだった。

カイロから1時間ほどでスエズに到着。

スエズ湾のある紅海はアジア、アフリカ、ヨーロッパの交差点である。サイード達はここを渡るとアジアに来たと感じるといった。同じアラビア圏なので私たちからすると不思議な感じがするが彼らには彼らの空間地図があるのだろう。日本人にとって朝鮮半島までの距離が実際よりも遠く感じられるのと同じかもしれない。

長いトンネルでスエズ運河をわたりシナイ半島に上陸。

スエズ湾沿いに南下しシナイ山のふもとの聖カトリーナ修道院へ8時頃到着。

ここは言うまでもないが旧約聖書でモーゼが十戒を神から授かった山である。こちらの名前はガバル・ムーサ、モーセ山という意味である。標高は2285メートル。このふもとにモーゼが聖なる山に入る時に見た燃え尽きない「燃える柴」があったところを中心にできた礼拝堂がセント・カトリーナ修道院である。

ここシナイ半島に来た目的はこれまで間接的知識でしかなかったユダヤ教やキリスト教、イスラム教が実際に誕生した場所に身を置いてみることと、ここカトリーナ修道院にある図書館に行くことであった。

先にここがアジア、アフリカ、ヨーロッパ文明の交差点であったと書いたがそれは、文字の流通という意味においても当然言えることなのだ。

アルファベットの成立もここ紅海と地中海を自由に商活動したフェニキア人によって徐々に形成されていったと言われている。

このカトリーナの図書館は当時、聖書の翻訳センターでもあったのだ。重要な写本は大英博物館にあるとはいえ、ここにもまだ膨大な数の写本が残されている。書庫にはもちろん入れないが展示されているものを今回見ることができた。

写真は不可なので残念だがアルファベット・カリグラフィ=タイポグラフィの歴史書には必ず載っている写本書体のオリジナルを見ることができた。

言語はギリシア語、シリア語、コプト語、ペルシア語、グルジア語、アルメニア語、アムハラ語、教会スラブ語(バシュカ文字!)、アラビア語などである。

その後半島の東、アカバ湾側に出てダハブに到着。ここは1960年代イスラエルが占領していた時代にできたリゾートの町である。ダイビングで有名なところでかのクストーが世界で最も美しいダイビングスポットがある場所と言った所でもある。

昔ダイビングの本を何冊かデザインしたことがあって、その時はフィジーに取材に行ったのだが、たしかに紅海の海はダイバー達のあこがれと書いてあったことを思い出した。

今の僕にはほとんど関係ないけれど。

ここに一泊し、翌日ターバという港からヨルダンに行くつもりであったが、フェリーが欠航になりここで二泊するはめになった。

本当に欠航なのかどうかははなはだあやしいのであるけれども。


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スエズ運河で新月を見る。


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シナイ半島を南下する。左手には岩山が延々と続く。ここも、サウジアラビアも山が赤く見えることが紅海の名前の由来らしい。


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半島を東に折れてシナイ山に到着。


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聖カトリーナ修道院


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モーゼが見た燃え尽きない柴


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モーゼの昇った山


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ダハブの海岸沿いのレストランにて。左はドライバーのアルシャミル、サイード。後ろは紅海。


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1125 バフレイヤからカイロに戻る。

朝バフレイヤの町を少し散歩した後、10時のバスに乗ってカイロに戻る。

途中バスの調子が悪くなり砂漠の真ん中で30分ほど停車。バスのクーラーもとまり車内はサウナ状態に。

一時はどうなることかと思ったが無事カイロまで戻る。

翌日からこの旅最後の冒険、シナイ半島、ヨルダンのペトラと死海行きが控えているので夜はその準備。

早めに眠る。


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バフレイヤオアシス


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泊まった宿。


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朝顔のような…。


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危なっかしいテレビ台


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1124 バフレイヤ・オアシス、白砂漠へ

朝7時過ぎに宿を出てバスセンターまで車で送ってもらう。

バスセンターから西方(リビア)砂漠にあるオアシス、バフレイヤ行きのバスに乗る。ピラミッドのあるギザを通り巨大なカイロの町の外に広がる砂漠の一本道をひたすら走る。

約5時間半かけてバフレイヤに到着。

ここで昼食をとり4WDのジープ(トヨタのランドクルーザー)に乗り換えさらに南西の白砂漠を目指す。途中ピラミッドの形をした山のある黒砂漠、小さな山全体がクリスタルでできているクリスタルマウンテンを通る。

運転手は夕日までには着いて白砂漠を見せたいからとひたすらオフロードを飛ばす。

日没の30分程前に無事白砂漠に到着。ここはマッシュルーム状の3メートルから10メートルほどの石灰岩の巨石が林立している。地面の石灰岩部分も真っ白である。

そこに沈む夕日は確かに全く美しい。

奇岩ということではトルコのカッパドキアを思い出すが広大な360度の砂漠の中にあるところなど、全く異なる印象だ。あっというまに日は暮れて周囲は瞬く間に暗闇になる。

感動したのは音である。

無音室にいるような不思議な感覚があった。

その後遅れてやってきたグループ、カナダ人、アメリカ人、博多から来た4人娘と合流し砂漠にカーペットとマットを敷いてたき火しながら夕食をとる。博多の4人はばりばりの博多弁で楽しい娘たちだった。二人は4ヶ月の世界旅行中で、そこに友人の二人がエジプトで合流したらしい。

砂漠の満天の星(天の川を視認したのは40年ぶりではないかと思う)を見た後私たちだけ暗闇の砂漠を2時間程走ってバフレイヤの宿に戻る。

ドライバーは「宿はキャンセルOKだから砂漠に泊まれば」と勧めてくれたが、他のメンバーは皆2~30代なので砂漠に毛布で寝ても平気だろうがさすがに私たちは歳なので遠慮した。朝日の中の白砂漠も見てみたかったけれども、これ以上睡眠不足が続くのは後々を考えるとやばいと判断したからでもあった。

砂漠の夜は本当に寒いのだ。


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砂漠の中の休憩所


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黒砂漠


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クリスタルマウンテン


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白砂漠に到着


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1123 カイロ帰還、エジプト考古学博物館。

昨晩11時半にルクソール空港を飛び立ち、カイロの宿に戻ったのが夜中の2時近くであった。

朝9時から旅行エージェントとの話し合い。

あまりにもこの前半、言ったこととやることが異なるトラブルが多かったのでしっかり時間をとって説明してもらうためだ。

あまりにも対応が悪い場合は後半すべてキャンセルするつもりでもあった。午前中を全てこれにさいた。

全てに納得できたわけではなかったが、結局はまあ乗りかかった船だし、問題が起こった時のエジプト的対応の仕方も分かってきたので後半もほぼ予定通り旅を続けることになる。

カイロのエージェントの言い分は今までこんなケースはほとんどなかったこと。

問題はアスワンのムハンマドにあったこと。

カイロのエージェントからの抗議でムハンマドは昨日クビになったことなどだ。

「えー?クビ!」僕らがしてほしかったことはそんなことじゃないんですけど…、と思ったりもしたが全くエジプト人(旅行代理店)の行動パターンは理解を超えている。クビにするんじゃなくてちゃんと教育しろと思いましたが、多分そんな風にはなっていないのだろう。


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6車線分の道を右3車線、左2車線分車が駐車していて残された1車線を人と車が通る。端の車は多くが廃車であった。


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午後やっと世界的にも有名なエジプト考古学博物館にいく。

当然のことだが収蔵品には素晴らしいものが多々ある。

しかし展示のあまりの劣悪さに驚いた。

ライティング、展示方法、解説、部屋の割り振り(導線)全てにおいて良くない。

これは全く信じられないことであった。

ツタンカーメンのマスクのある一帯だけ別の美術館の様にまともになるのだが、それが違和感に拍車をかけている。


皮肉屋のリチャードならば遺物は大英博物館にあったほうが保存の点からも幸せなんじゃないかという冗談を言いそうである。

写真撮影は禁止なので画像はない。




1122 博物館、インターネット、喧噪のルクソールの町の片隅で。

午前中にボートをチェクアウトしていると、アスワンとはまた別のムハンマドが現れて私たちを次のホテルに連れて行くという。この日我々は夜遅くの飛行機でカイロに戻るのでそれまで荷物を置き休息などをするためのデイユースである。

このムハンマドもかなり胡散臭い男であった。

後で分かったことであるが私たちの一連のトラブル続きのアスワン、アブシンベル、ルクソールの旅行を仕切っていたのはどうやらこの男だったのである。この日の時点では我々はそれを知らない。

ホテルのチェックインの後、ルクソール博物館にまずは行きたいと我々が言っているのに土産物屋に連れて行こうとしたり、博物館は小さいから時間なんかかからないと言って食事を誘ったりするのだ。しかも博物館とは反対方向に随分歩かされた。いい加減頭に来てここからは自分達で行動するからあんたは帰っていいときっぱり言った。

ルクソール博物館は展示数こそ少ないものの傑作ぞろいであり、展示の仕方もエジプトの中でも数少ない真っ当なものだった。4時頃、博物館で遅めの昼食をとってホテルに戻る。


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ここは撮影禁止なので画像はない。

ホテルの近くのマーケットの中にインターネットカフェをみかけたので、久方ぶりにメールを確認し一日分だけブログを更新する。ナイルクルーズしている間ネットは全くできなかったのだ。

エジプトでの旅行エージェントとのやりとりにいささか辟易し、殺伐とした気持ちになっているところへK先生から絶妙なタイミングで我々を気遣うメールをいただいていた。妻とふたりそれを見ながら思わず泣きそうになりました。

先生のメールにはジョセフ・アルバースの言葉からの引用があった。

無断ですが以下、引用させてもらいます。

芸術とは

はじめに表現があるのではなく、

まず視覚を提示することなのだ。

芸術における視覚とは

洞察力、生命を見抜くこと。

だから芸術とは

対象ではなくて

経験なのだ。

そのことに気づくために

私たちは感受性を磨かなければならぬ。

それゆえ芸術は

そこにあり

そこで芸術は

私たちをとらえる。